海馬五郎の設定これは映画「熊野幻想」主人公の一人・海馬五郎役をやっていただいた役者さんに「こんな感じの人」というイメージを教えるための文章です。映画用に演出を加えた設定ですが、二年ぶりに発掘し面白かったので、これを機会に掲載いたします。 ●海馬五郎(治兵衛) 一見して23歳前後に見えるが、実は千三百年も生き長らえている人三化七(化け物のパーセンテージが多い)。 性格的には、決して達観することなく、むしろ周囲の人間に翻弄されることすらある。騙されたり、女子高生にからかわれたり。頑固で一途。人当たりは悪い方。気を使うタイプではない。それでも嫌われないのは、決して人前に出る性格ではないから。しかしいつも事件に巻き込まれてしまう。損な役回り。 人として、増幅しすぎる感情にいつも悲しみを覚えている。(結局人間は、長生きしようが、不死になろうが、変わることなんてできないんじゃないか…って云う、持論) でもそれは「夢の中の女」という、自分自身の中に欠落したものを持っていたから。もしはじめからすべてを手に入れてしまったら、橘のように、何かに怯えた生活をし続けていたかも。 「ヤタノ鴉」というあだ名をつけられたのは、山中教授の研究室内で「夢の中の女」の話をした時に、山中教授が「アマテラスを導いた鳥(ヤタノ鴉)のような目だ。」と言ったことから。しかし本人は、不定型な自分の存在をきっちりしたいという意識があったらしく、思想戦争の頃には齋藤律のグループに加わっていたこともある。 結局誰かの「犬」になっていた方が気がラクなのに、何故か独り身の「鴉」になってしまう性格。 異端の考古学者として生計を立てている…訳ではなく、八百年程前に知り合った海馬家の財産であちこち放浪している。 放浪の理由は、不老不死をばれないようにするため。 結局それもばれて、五郎の「不老不死」を研究する組織に目をつけられてしまうのだけれども。 元来暗い性格ではないが、「熊野幻想」時では、すべてに決着をつけなければならないんで、神妙にしている感じ。 かつて一度だけ妻帯したことがあるが、人としての生活ができないことを知り、そのことが大きな心の傷となっている。 因みにその時、薫という名前の連れ子と出逢う。薫と血の繋がりはなかったが、彼女が大怪我をした時に、自分の血を分け与えてしまったことから、薫もまた不老不死(半分)となってしまう。薫は、新興宗教の教祖“きら”様に仕えているが、共に果てられぬ自分の身の上を呪い、五郎の存在を憎んでいる。…ってなこともあったので、よけいに五郎は暗い。 五郎と橘一族との確執はかなりあり、長い歴史の中で何度も出逢う(ほとんどは悲劇的な関係として)訳だが、中でも東京空襲の時の話が一番辛い話である。橘は国粋主義者として、村人すべてを前線に送り、五郎は何もできないと言う話。 橘若彦とは、山中教授の「東北の熊野信仰に関する」共同研究グループの中で知り合う。この時、まだ五郎の記憶はあまりはっきりしておらず、「熊野」というキーワードに牽かれて、そのグループに飛び込んだようなもの。そこで若彦と出逢うが、お互いに、あまり人付き合いがうまくない方なので、かえって仲良くなったようなもの。当時の大学は、まだ思想戦争(学生運動のことね)の最中にあって、若彦は、その強い姿勢から「黒犬の橘」と呼ばれ、恐れられていた。付き合いと言っても、お互いに他人に興味のない者同士だから、持論をぶつけ合う程度。特に「人は神になりうるか」という論争では、かなり激しく論じあったが、結局は決着はつかなかった。「熊野幻想」で、五郎が「決着はついた」と言っているが、あれは嘘。 ちなみに、若彦と出逢った時、五郎は長い旅の終わりを実感している。 五郎が、橘の家系と出逢ってしまうのは、運命の悪戯で、しかし彼的には、あまり深く考えていない。 五郎の人生の中での転機は 1.妻帯したこと(熊野に似た女・成りゆきで結婚したが、その後自分が不老不死の身であることを知った) 2.親友を失ったこと(学生運動のリーダー・齋藤律。彼は、建物の屋上で演説中、機動隊のガス弾が腹部に当たって、転落死している。人間が、机上論で殺しあう事実に、強い憤りを感じる) 3.愛犬を失ったこと(一緒に全国を旅していたが、橘に殺されてしまう) ちなみに三人とも、たまに亡霊として五郎を助ける。 五郎の癖は、口を左手で被って考え込むこと。呟くこと。これは何度も悲しみを背負ってきた人間の癖である。医学的根拠あり。 酒と喧嘩に弱い。牛よりとり肉がすき。ラーメンも好き。音楽音痴。ブーツ派。 五郎の記憶障害は、橘の先祖に頭を強打されたこともそうだが、最愛の女を守れなかったというトラウマからきている。そんな五郎でも海外にいった経験あり。 ちなみに海馬五郎の設定については、この十倍近くあります。年表もこしらえていたはずだけど、紛失。 ジャンル別一覧
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